はじめまして、ka-kunです。
このブログでは、
メンタル豆腐だった僕が
筋トレをきっかけに
・極めたいことを仕事にする
・良好な人間関係
・努力に見合った報酬
を手にするまでに至たった
軌跡について発信しています。
特に、
過去の僕のような人を救うために、
①エビデンスベースで確実に人生を
好転させていくための具体的な方法論
②独立を含め、あらゆる理想とする目標を
達成していくために必要な目標達成法
をお伝えしていっています。
昔の僕みたいな人を救いたい
では、なんでこんなことを
しているのかというと
上記の①と②を知らなかったために
失敗や他人との比較、自己否定を
重ねるほどに自己肯定感が下がって
自分は何をやってもダメな奴なんだ
「しょせん、自分はこの程度だし仕方ないよね・・」
って、
自分で自分の可能性を諦めてたことに
僕はめっっっっちゃ後悔したからです。
僕は2018年の春に
適応障害と診断されました。
当時はかなり精神的に
追いつめられてたんです。
「毎日何の為に生きているのだろう」
って四六時中思っていました。
朝早くから出社して夜中に帰ってきて
上司に指示されるまま休日も返上で働く日々。
だけど、この時はこれしかない。
この道しかない、この選択しかない。
辛くても苦しくてもとにかく会社で働く以外に
道はないと思っていました。
絶望です。
人生を好転させていくための
視点や知識、方法を知らないから。
どうしようもないと思い込んでたんですね。
他の道があることを知らないし、
具体的に今の自分を変えていくために
どうすればいいのかわかってなかった。
つい先日のことです。
トヨタの社長や経団連会長から
終身雇用は難しいという会見がありましたよね。
うすうす以前から多くの人が終身雇用は
難しいことを分かっていたと思います。
それがこの二人が明言したという事なんで
もう本当にいよいよヤバいのでしょう。
おまけにこれからは
コロナ不況がはじまります。
不安に苛まれている人が多いと思います。
僕自身のこれまでの経験から
同じように将来を憂い悩み辛い思いを
感じている人の気持ちがわかるからこそ、
なんとか力になりたいのです。
偉そうに思われるかもしれませんが、
自分なりの答えが出た僕からもっと気楽に
生きていくために伝えられることを共有したいし
今の道だけではなく、他の道あっていいんだよという事を知り
自分の未来に希望を感じてもらえたら良いなと思っています。
このブログでは、そういう人に向けて書いてます。
共に学び一緒に成長していきましょう。
僕の過去の経歴を共有しておくと、
より理解もしやすくなると思います。
なので、少しばかり僕の過去の物語を
今から共有をしていこうと思います。
箇条書きで激変した僕のここ一年間をまとめると、
・今は夢中になれることを仕事にしてます。
人付き合いが苦手な人がひとりでも
生きやすくなるための情報発信をやっています。
・大学卒業後→大手の製薬企業に就職するも・・
スキル0・実績0・収入0の状態で
思い切って退職しました。
・めっちゃ読書好き
月に20冊以上本を読んでます。
こんな感じの人生です。
こういう情報を聞くと、
疑り深かった昔の僕なら
「うさんくさ。
絶対嘘やん。」
と感じてたと思います。
そう思って当然だろうし、そもそも
世間の常識に外れた人間を理解するには
かなりの抵抗があると思います。
ただ、まともかどうかは僕の
ブログやTwitterを見ていただければ
きっと伝わると信じています。
ここに、僕のこれまでの人生をまとめてみました。
【幼少】自分の世界があって何かに没頭すると手が付けられない。仮病使って保育所休んだり、かくれんぼで鬼になってるのに誰にも言わず勝手に帰ってしまう。
物心がつきはじめた頃、
与えられたおもちゃの工具セットを
ずっと大事にしていたみたいで、
それがエスカレートして、
本物のコンセントにいたずらして
家のブレーカーを落としてしまったり、
延長ケーブルやなんだか今
思い出せないけど、いろいろ
工作することが好きだったみたいで
配線イジイジして遊んでたんですね。
あるとき親戚が集まってる時に
その配線が原因かもしれないけど、
焦げ臭い匂いがしてボヤ騒ぎになったりと、
思い返せば、
超・危ない子でしたね(笑)
きっと僕は好奇心の赴くままに
時間を忘れて何かに没頭して
創作することに喜びを感じる
職人気質の人間です。
だからこそ、
それを邪魔するものは
全力で拒否してたみたいで
父が兄の夏休みの昆虫採集を
手伝うために木に登ったのかな?
運悪く足滑らせて骨折してそれから毎日
病院にお見舞いに通いはじめたのを
口実に保育所に行きたくないとゴネて、
いつもゲ○を吐く真似をして
許してもらって登園サボって
一人遊び楽しんだりと、
マイペースな奴だったんですね 笑
それでもやっぱり一番ひどいのは、
かくれんぼで鬼になってるのに
夕方に聞こえる17時の鐘が聞こえたからって
誰にも言わず勝手に帰ったことですね。
そのあと、みんなで
必死になって人さらいに
あったんじゃないかって
大騒ぎになったらしいですが、
あの頃はなんとも思わず
メンタル最強でした。
今になって思います。
ああ、やっぱり
”社会不適合者だな”
と。
【小中学校】自分は神だと勘違いしていた幸せ野郎でした。
そんな強いメンタルは
中学校いっぱいまで続いたんです。
うまくいってた頃というのは
お調子者のグループで楽しく過ごしたり、
勉強もそこそこできて、
部活もレギュラーだったことから
何をやってもうまくいく、
全能感に満ちあふれてました。
部活で副キャプテンやって、
学級委員にも推薦されて
人望もあって正直モテてました。
女の子とメールしたり、
夏祭りにWデートして
プリクラ撮ってみたり
完全に浮かれてました。
と、同時に
自分のリズムというのかな。
何をやっても、
自分の思うままのペースで
物事がトントン拍子にうまく進む
フロー状態っていうのを体感します。
(これめちゃ大事)
でもこのあと、どこまでも調子に乗り
努力することの意味を理解しないまま
成績ギリギリで高校は隣町の進学校に
通うことになるんですが、
ここからが地獄の始まりでした。。。
【高校・予備校】自分のポンコツさを痛感するも、その後ちゃんと払拭した話。
通ってた高校は地元の進学校で、
地域の秀才の集まりでした。
スペックの高い連中ばかりで、
当然のように
・頭がいい。
・運動できる。
・コミュ力高い。
・とにかく明るい。
すると僕は何をどう足掻いても
何一つ彼らに優れたところがないんですね。。。
ここでやっと、
自分が大して頭も良くなければ
秀でた運動神経や特技もない凡人
であることに気づかされます。
入学して3日後には
普通に埋もれてましたね。
それからの三年間丸々
超・卑屈に過ごすことになります。
具体的には、
・スポーツ推薦で入ってきた後輩4人に実力でレギュラー取られる。
・インハイ選手の彼女に練習試合でボコボコにされる。
・友人は落ちぶれていく僕を見限ってどんどん離れていく。
中学時代に持ち上げられた分、チヤホヤされない学校生活がまったく楽しくないんですよね。。。やっと人の気持ちを考えられるようになれたのがこの頃です。ああやっぱ人って承認欲求満たされないと生きていけないんだなと。
かといって、
部活辞める勇気もなくズルズル続けてしまう。
素直に負けを受け入れられない雑魚でした。
付け加えて、受験シーズンにはこれまでロクに勉強してなかった運動部の連中も本腰入れて勉強をはじめるとこれまた一気に置いていかれて、頭の悪さに落ち込みましたね。もともとのスペックが違い過ぎたんだなって。
空気でした。
毎日が苦痛で
仕方なかったです。
実に惨めでした。
自分の実力が嫌というほどよくわかったし、
自分のポンコツさにウンザリ。
スクールカースト底辺。
それでもプライドだけは
一丁前だったから、モブキャラにもなりきれず
覚悟を決めて受験勉強に向き合うこともなく、
ただただ、実力のなさを
嘆いてばかりだったんです。
現役時代にクラスメイトが国立大くらい受かって当たり前とかいってる中、その国立大に不合格で落ちこぼれたことがめちゃめちゃコンプレックスでしかたなかったんですね。
当然、そんな暗い奴が卒業式のあとの打ち上げに呼ばれることもなく、ひとり帰路についたことを覚えています。
悔しすぎた。
情けなかった。
劣等感しかなかった。
その後、親に頼んで予備校に入れてもらったけど、二度も国立大学に落ちたらもう手に職系の仕事に就こうと腹を括りました。
で、これが意外とうまくいったんですね。
さすがに一日15時間くらい
缶詰して勉強すると成果が出ました。
気の合う友人もできたし。
翌年は国立大学に合格しました。
何か一つの目標に没頭するとき、
そこに不安や迷いを感じてる暇なんてなくて
正しい努力をすれば達成できる。
このとき、やっと
相応な努力を積み上げて
相応の結果を得られるっていう
貴重な成功体験を
積むことができたんですね。
【大学】人生の夏休みはあっという間に終わり、結果何も残らなかった。
幸い、大学になると、
高校までのようにクラス単位で
活動することが少ないのでそもそも
友達を作っても作らなくてもいい
という自由な雰囲気が
なんとも気楽で大好きになりました。
(どんだけ疲れていたのだろう…苦笑)
必要なときに友人と結託して単位をとって、卒業研究は楽そうな研究室に入り、先輩からコスパの良さそうなテーマを引き継いで卒論もかなり早い段階で終わらせました。
一浪して社会に出るのが遅れたんだから就職こそ失敗しないようにって、かなり戦略練って大手の製薬会社の内定を手にしました。
それで、
終わって気づいた。
これでいいいのか自分。
結果主義すぎて。
正直、就職なんてしたくなかったけど、好きなように働くために起業するだなんて当時の僕には異次元すぎる話だし、自分頭悪いから無理だと決めつけて、無難そうな大手企業の会社員になる道を選んでしまったんですね。
仕事内容は全く興味がありませんでした。
白状します。
志望動機なんてみんな建前です。
それでもさっさと就職が決まったことに親は喜んでくれたし、やっと親孝行できたって嬉しかったですね。
でも時々、いっそ出家しようかと考えるくらいなんだか自分の人生なのに、本当は好き勝手やってみたいのに、いつまでも学校の延長のようなライフイベントを必死になって予定調和に進めていくどこまでも弱気な自分が嫌で仕方ありませんでした。
本心ではコレじゃない感を感じまくってたのに。
一浪してまで入った大学で高い授業料払って、専門性を究めてくはずがその道のプロになるためにでもなく、ただ就活で有利になる大卒の資格を取るためだけに4年間も貴重なお金と時間を費やしたのかと思うとあまりに虚しくて、
彼女作ってとりあえず居酒屋・ビラ配り・不動産営業・ビアガーデンのスタッフなんかのバイトして、それなりに楽しもうとはしてたし、楽しんでいたつもりだったけど、憧れたいかにも大学生活はなんだか時間を浪費するだけ無駄な期間じゃないのか?なんて感じてたりと、
そんな斜めに構えて物事捉えたからきっと周りから浮いてましたね。
就活終わってからは、やることなくいよいよ暇すぎて
一日中、古本屋でビジネス書立ち読みしてました。
少し賢くなったつもりでした。
でも、相変わらず人付き合いは億劫に感じてたし、大勢の集まりは疲れるから行きたくなかったし、口が上手いだけで心は冷たい人間に出会うたびに嫌悪感を通り越して恐怖すら感じてました。
その一方で、
とにかくバイクが好きでした。雪の日でも乗っていた。で転んだ。友達ともさんざんツーリングしたし、一人で北海道にも鹿児島にも行った。没頭すると余計なこと考えずに済むからだったのかな。
【会社員】山口ですり下ろされたメンタル、そして工場エンジニアは絶望する。
完全に燃え尽き症候群でした。
やっとのことで安定を
手に入れたと思ったのに、
そんなの幻想でしかなく
入社して研修が終わった翌月には、
すっかりなんのために生きているのかわからなくなりました。
仕事に対してマイナスなイメージしかもてなかったんです。
ただ消耗品のように使い潰されていく同僚たち。
見切りをつけて辞めていく同期と先輩ら。
本音で話せた優すぎた性格の同期は病んでしまってリタイヤ、ストレスで若ハゲが目立ち始めたベジータは地元の会社に再就職、3つ上の一流大学出の先輩は医療系ベンチャー企業で夢を追いかけいなくなりました。
なのに僕は一歩踏み出す勇気もなくずっとモヤモヤするばかり。
せっかく手にした職だったからこそ、
長居するほどヤバいと思いながらも
そう簡単には手放せなかった。
そのうちに同期の女の子の紹介で彼女ができてから、ひたすら貯金しボーナスも手をつけなかったです。
だって、この時の夢は30歳までに貯金一千万ためることでしたから。
もうほんと絵に描いたような
超安定志向人間。
そのわけは入社三年目くらいから、底知れぬ違和感を感じはじめて、現場のルーチンワーク頑張るほどにそこから逃げられなくなって、歳とったら足元見られて都合よくポイ捨てされるんじゃなのか?ってずっと怯えてました。
そしてまるで不安が不安を引き寄せるように、どんどん業績は悪くなり、下流の現場にしわ寄せが津波のように押し寄せます。
あるとき、グループの岐阜工場が突然、ジェネリック医薬品のメーカーに売り飛ばされました。
職場に戦慄が走ります。
元ヤンが裏ボス、ひねくれた性格のお姉さんらで回している現場。社内では「掃き溜め」って名前で通ってたこの部署は、実力や専門性なんてまるで意味がなくただ影の支配者へのコミュ力だけが必要でした。
あまりの精神的負荷に大阪から転勤で飛ばされてきた係長は、転職先を見つけずに秒で辞めて帰る始末。
そんな光景を目の当たりにして、僕も縁もゆかりもない土地で定年まで働き続けられる気力がわかなかったです。
とにかく一刻も早いセミリタリアを目指して我慢してみたけど、負荷に耐えきれず現場配属になって1年と9ヶ月で適応障害になってダウンです。
やっぱりズルだとか、弱すぎると思われたんだろうな。
でも今まで頑張ってきた結果がこれなのか。
大手でもこれなのか。
情けなかったです。
相変わらず悲観的な情報ばかり目についてしまう。
いつもネガティブ思考が頭から離れない。
息抜きにバイクでも乗ったら?
って撮ってもらったのがこの一枚。
顔が引きつってうまく笑えてないですね。。。土偶みたいな顔してるね
そもそも、一方で
なんで世の中には表で懸命に働く人間がいながら、裏で悠々自適に暮らせている人間がいるのが不思議でならなかったんです。
だから真剣に勉強をはじめるも、
やみくもに自己啓発本を読んで
自己満足に終わった時期もあったし、
TOEIC頑張ればいいポジションで
働けて楽しく働けるんじゃないか?とか、
経営を勉強すればきっと重宝されるし
食いっぱぐれることはないだろうって
中小企業診断士を取ろうと頑張った時期もあります。
全部無駄でしたけど 笑
そんな中、唯一
人生を切り開いていくのに
有効だったのが「筋トレ」でした。
わかりやすいほど変わる見た目
食事と睡眠を整えていく暮らし。
ココロもカラダも
健康にならないわけなくて、
自分のカラダが
進化していくほど、
やればできるって感情が湧いて
前向きに物事を捉えられるようになって
これまでの白黒だった視界が徐々に
色づいたものになりはじめました。
でも、
やっぱり毎日が窮屈すぎて、枠から抜け出したくてたまらなかった。
うすうす気づいていたんです。
会社員としてどれだけ
エネルギー注いで働いても
組織の構造上、一生働き続けなきゃ
生活していけないんじゃないのか?
って、
だからこそ、上がり方を
知っている人を探して
ビジネスを教えてもらわない
限り状況は変わらない。
で、
どこかにそんな手がかり落ちてないかな〜
ってな具合に探し始めると実際に人生を
激変させるきっかけになる師匠に出会えたんですね。
この時は予備校と同じで、
受験と同じで我流でやってしまうよりも
プロに正しい道筋示してもらった方が
確実に状況を変えられるんじゃないかって
ことでためらいなく投資しました。
情報発信で敗者復活の兆しが見えてきた
僕は今、情報発信に取り組んでますけどもっと早くこの処世術を知って、取り組めていたらなあ・・と思ったりしてます。
ちなみに情報発信でご飯を食べる方法は、
自分の良いな、好きだな、やってみたいなというジャンルを選びブログ、Twitter、youtube、メルマガとかを使ってそのジャンルについて自分のフィルターを通した発信をして、自分のファンを作りファン向けにサービス・商品を提供して役に立って喜んでもらうビジネスです。
例えば、健康系の発信をしたいとすると自分の健康に関する体験談、他者の体験談、健康に関して学んでいる事を書く、これ使って良かったとかのレビュー記事とか、健康に関する事を発信していって自分のファンを徐々に作っていく、そのファンに自分が良いと思ってる商品・サービスを紹介して喜んでもらう。という感じです。
ホリエモンが提唱する儲かる商売の四原則
・利益率の高いビジネス
・在庫を出来るだけ持たない
・毎月の定額収入が得られる
・少ない資本で始められる
に当てはまる副業から個人がはじめられる
数少ない優良なビジネスモデルです。
書籍でも見つけました。
逃げるように会社を辞めて、地元に帰って情報発信をはじめるも・・
テクニック的なことを言えば
・マーケティング力
・ライティング力
を身につけないと、
自分の存在をお客さんに知ってもらえないし
お客さんの悩みを理解してあげられないし
お客さんに伝えたい情報を伝えられない。
この技術を一から磨いていくのは、
野球でいうところの走り込みや
素振りくらい地道で大事なことって
あとになって気づくわけだけど、
ビジネスを成功させる
本質はそこじゃなくて、
答えは自分への問いにありました。
生涯かけてなんの
専門家になるの?
もっとわかりやすく、
何屋さんとして
商売していくの?
ビジネスで何の価値を提供して
対価としてお金をいただくの?
そもそも何を成し遂げたくて
ビジネスをするの?
使命は?
生き様は?
死生観は?
って
会社飛び出してから
ずっと問い続ける日々でしたけど
そんな簡単に答えが見つかるわけなく
自分の強みとか
やりたいことって
なんなの?
究極のところ、
自分は何者で
どこへ向かって
行きたいの?
なんのために生きてるの?
くらい深く深く
自問自答し続けました。
この過程は、
普段から自己主張せずに
生きてきた僕にとって
超難解でした。
そんなんわかるわけないやん・・
頭ハゲるんじゃないかってくらい悩み込みましたよ。
何度逃げ出したくなったか
わからないけど、
この問題から逃げて
ビジネスを進めてしまうなら、
一生結果が出ない
そんな世界に僕はダイブしてました。
命知らずもいいところです。
豆腐メンタルすぎて、一向に前に進めないという失態。
情報発信を通して
誰かにサービスを提供しようにも
なんの取り柄も実績もない僕は
何からはじめていけばいいのか
分からなくてパニックになったんですね。
行動しながら考えろ!
とにかく行動!!
手を動かせ!!!
なんて言われても内向型の僕は
考えるほどに悪い方向に思考が
堂々巡りしてしまって
カラダが強張り、
頭が真っ白。
臆病で何事も確信持てる情報がないと
動けない性格なんだと痛感して、
そのとき自身がHSPなんだとも知りました。
そんなことをしているうちに
勢いで会社を辞めて10ヶ月が経ち、相変わらず収入なし。生活費はとうに底をついていて、クレジットカードの利用残高(借金)が気づけば150万を超えていて、いよいよ追い詰められましたね。
きっと以前の僕なら
「こんな無謀なことは
やめておくべきだったんだ(泣)
やっぱり独立なんて無理かな。。。」
なんて泣きべそかいて
諦めてしまいかねないところまできてました。
何度も挫けそうになり、
このままうまくいかなかったら?
なんて恐怖に襲われて
寝れない夜が続きました。
「ああ、俺は終わりなのかもしれない・・
アラサーにもなって何をやっているんだろう
定職も捨て、家庭も築けないただの無職じゃないか。」
キラキラしてる若者や成功者を見ては、
高校時代の無力感が復活してきて
とことん自己嫌悪になって
寝ても覚めても、会社員時代の比にならないくらい強烈な悪夢にうなされる日々でした。
メンタルをコントロールことは自分の人生をコントロールすることだと確信した。
で、今
そんな状況から持ち直せたのは
メンタルを改善したからです。
メンタルを改善すると言っても
筋トレを汗かいて必死にやるんじゃなくて
(もちろん効果ありますが)
自分の本心から成し遂げたいことを
こころからワクワクしながら
取り組めるように設定して
行動計画に落とし込んで、
ついつい浅くなりがちな
呼吸を見直してみたり、
自分のリズムを
把握することから
はじめたんですね。
そんなの効果ないんじゃね?
って思うかもしれませんが、
よくよく僕のこれまでの
人生を振り返ってみて、
大学受験も就活も当時は
ちゃんと叶えたい目標として
設定したから達成できたし、
反対に、
就職後に消耗してしまったのは
自分のエネルギーを注ぐところが
わからなくなってしまったからなんですね。
頭が真っ白になるとき
神経が昂っている状態。
しばし呼吸を整えて
落ち着いて自分を
客観視してみると、
「なんだ、そんなことで
悩んでたのか 笑」
ってことに気づかされます。
実際に起業に挑戦してすぐの頃、
何もかも初めての僕は思い悩む段階でもなくて
うまくいってなかったのは
必要なやり方を理解しきれてないだけで、
数学の公式を覚えてないのに
いきなりテストで満点目指そうと
してるようなものでした。
僕がやらなくちゃいけないのは
「何がわかって、何がわかってないのか
ちゃんと振り返って問題を解決していくこと。」
ただそれだけに意識を向けてみることでしたね。
結局は目指している姿になるための
知識をコツコツ吸収して実践して経験に
変えていくだけってやっと理解できて、
念願の在宅ワーカーになったのはいいものの
しばらく働き詰めです。
だけどいつも
自分のペースで働き、
休みたいときに休む。
そして、興味があることだけ納得するまで突き詰めるのが仕事がだからとにかく楽しい。
朝は目覚ましなしで早起きする日もあれば、昼前までまどろんでみたり、時間の使い方は自由。
息抜きに
天気が良い日はサイクリングしたり、
近所の公園をブラブラ散策して
気合入れて山歩きすることも。
雨の日は家にこもって読書したり、
映画見たりしてゆったり過ごしてます。
自分のリズムが乗っているときは寝食を忘れるほど仕事に没頭するけど、抜くときは思いっきり抜く。
まるで夏休みのように気ままな毎日。
気づけば、望み通りの
暮らしが叶っていましたね。
そんな毎日がこれからもずっと続いていく。
好きなときに働き、好きな人たちに囲まれて生きていける。
誰と比べるわけでもなく、誰を蹴落とすでもなく、誰かの役に立つ情報を発信することで飯を食べていく。
こんな夢みたいな世界があったなんて。
一方で、思い返すこと去年の冬。
独立を決意したのは、
僕にとって、集団生活すなわち
組織で働くことが窮屈でしかなかったから。
と同時にこれまで育ててくれた上司・先輩らを裏切るかたちになってしまったこと申し訳ない気持ちになったし、
自分よりも立場の弱かった正社員や嘱託・派遣雇用で懸命に働いている人たちを見捨てることになった。
あのとき自分が拒絶したポジションが
大学受験や就職試験で自分が蹴落として
しまった人たちにとってもしかすると
誰よりも望んでいた場所だったのかも
しれないなんて思うと罪悪感しかないです。
それでも僕は、
山口での暮らしが
嫌で嫌で仕方なかったし、
二年半も付き合ってくれて結婚を考えてくれた彼女を裏切り、地元に逃げて帰ってきた。
さんざん道に迷って
わかったことは、
この先どんな困難が待ち受けていても
自分が納得できる生き方をしていれば
それは問題にならないし、
安心・安定なんて幻で、
自分が必要なだけその都度
成長するしかなかった。
今いる場所は逃げに逃げて、たどり着いた場所。
だから、今度こそ
いまこの仕事だけは
手放しちゃいけないと思うし、
必要としてくれる人のために真心で
向き合う仕事にしたいと思うんです。
これからの夢
山口でエンジニアとして働くも自分を見失う→休職→成長→起業…
と、イバラかも知れない道を歩き始めた
僕の人生をお伝えしてきましたが
本当に没頭できることだけを仕事にして
自由な働き方ができている今が、
人生で一番自分らしくいられます。
だけど、
今の生活を手に入れるまでに
僕は社会に出てから、5年近くもかかってしまいました。
その間には、
本当につらかった時期や
人生に迷ってしまったことが
すっごくたくさんありました。
なんでも器用にこなす人を見るたびに
僕は何をやっても不器用だったから
もういっそ潔く死にてぇ・・
なんて何度思ったか、
正直なところわかりません。
だからこそ、これからは
かつての僕のように生きづらさを抱えて
くすぶりはじめた人生を変えたい人に
こういう考え方・人生もあっていいという
選択肢をこれから実体験を交えて
本気で伝えていきたいと思っています。
今はとにかく毎日が楽しい。
この感覚を共有したくて仕方ないんですね。
また、そうすることで
誰かの人生が明るくなっていくなら、
まわりまわってこれまでさんざん迷惑かけた先輩、上司、友人、両親への恩返しになるんじゃないのかなって思ってます。
もしあなたが
僕の物語や言葉に共感していただけるとしたら
これからぜひブログやメルマガを楽しんでいただければ、
本当に嬉しく思いますよ。
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最後に…
長い長いプロフィールを読んでいただき、
本当にありがとうございます!
感想やメッセージをいただけると更新の励みになりますので
各記事のコメントや、僕からお送りする無料メルマガへの返信、ツイッターDMなどで何か一言でも送っていただけると嬉しいです。
PS.
たくさんのメッセージいつもありがとうございます。お返事が遅くなってしまうこともありますが、頂いたメッセージにはすべて目を通しています(^^)
─────−- - - - - -−─────
僕は、
まるで自分の人生じゃないような 他人の価値観に合わせる毎日に 窮屈さを感じながら、
自分を変えていく勇気を持てずに 28年間も悶々とした気持ちで ただ人生が好転していくのを 待っているだけの人間でした。
このままの自分でいいんだろうか・・」
そう違和感を感じながらも、 建前だけで取り繕った就職活動を経て 安定だと思っていた職につくも
人をただ消耗品として扱う 現実を目の当たりにして ココロは完全に折れ、
気づいたころには、 適応障害になっていました。
そんな状況から立ち直れたのは、
”ブレないメンタルを身につけたから。”
今となっては、 失敗を過度に恐れたり むやみやたら他者と比べたり 不用意に自己否定することなく、
本来の自分と真正面から向き合って 自分のペースで一歩一歩着実に 幼い頃からの夢の実現に向けた 人生を歩めています。
十人いれば、十通りの人生がある。
” 自分は自分の道を進んだらいい”
この感覚を信念にできたことで、 僕は自分なりの幸せを追求する起業家に。
そこで、
興味のあることだけを仕事にし、 良好な人間関係で毎日を快適に過ごし、 努力に見合った報酬を手に入れるまでになりました。
どんな状況に陥っても、
”自分が納得できる生き方をしていれば 立ちはだかる壁なんて問題にすらならない”
とハッキリ断言できる自信。
この圧倒的な自信が、 精神的な余裕と豊かな感受性を 呼び起こし、日々の着実な成長を経て 僕の人生に真の安心をもたらしてくれました。
人は本当の自分と向き合うことで 自分がココロからワクワクできる どんな目標でも達成できると確信しています。
こういった経緯から、
「何者にも惑わされずありのままで生きる」 をテーマにそうなるための
①エビデンスベースで確実に人生を 好転させていくための具体的な方法論
②独立を含め、あらゆる理想とする目標を 達成していくために必要な目標達成法
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